舞台 ナナシノ () 希薄 を観て感じたこと

   9月17日の昼、舞台 希薄を観てきました。

  吉岡茉祐さんが出演されていて、テーマが東日本大地震だということは知ってはいたが、初めは観に行くつもりはなかった。しかし、初日公演が終わり、観に行かれた方々の感想を読んでいると、行きたいという気持ちが溢れてきた。僕は大丈夫だったのですが、6月の震度6地震、9月には台風21号による被害が地元であり、もう自然災害が他人事ではなくなってきているなと実感し、この舞台を観て何かを得ようと思い、観に行く事にしました。

 

舞台全体の感想

   この舞台を観劇後の気持ちは複雑だった。各場面毎に様々な感情を抱き、それが混ざり合ったからだと思う。また、その感情になったのは役者さん達の演技が凄く、それを至近距離で感じることができたからだと思う。そして、みんなきちんと役になりきっていると感じた。だからなのか、自然と各場面毎の背景を自分で勝手に創って演技を観ていた。これって役者さん達が、その世界でちゃんと生きていないと無理だと思うから本当に素晴らしい演技だったと思った。

今一番印象に残っているのは、未来が真理恵のお墓の前で語る場面。僕が見えていたのは、お墓は高台の岬(ワンピースでいうベルメールのお墓の場所)にあって、ちょっと薄暗くなり始めた頃。こんな細かい設定が勝手に見えたのは不思議だなと思う。きっと会場が創り出す世界観からもきていたんだなと。舞台希薄がサンモールスタジオで公演されたことが本当に素晴らしく思った。

 

 吉岡茉祐

   ワグナーとして、この方について話さずにはいられない。最初出てきた時は「あ、まゆしぃだ。」と思った。しかし、数十秒もすれば吉岡茉祐から松岡未来に変わっていた。これに気づいた時には、これが舞台をする吉岡茉祐なのかと驚いた。舞台で演技をするまゆしぃを生で観るのは初めてだったため、今まで知らなかった部分を知れて嬉しく思うと同時に、舞台女優「吉岡茉祐」も好きになった。「何でも屋」を目指す彼女を応援していき、まだ知らない吉岡茉祐を知れるのが、今から楽しみだなと。そして、たとえWUGが解散したとしても、僕は追い続けるんだなと思った。

 

 印象に残った場面

   ここでは、いくつかある印象に残った場面から選んだ2つを、軽く内容を交えつつ感想を書いていく。

 

  • 孝介がボランティアや取材の人たちについて語る場面

 

   僕が今舞台で一番考えさせられた場面。正直言ってまだきちんとまとまってないが、それでも書いていこうと思う。

   この場面を端的にまとめると、大事にしていたもの(家や日常等)が、一瞬にして消えて無くなってしまった孝介が、ボランティアや取材の人、CMから聴こえてるアイドル、アーティストたちの励ましの言葉に対して「頑張れるわけねーだろ!」と思う場面。

この場面を観た時の感情はとても複雑だった。帰る家があって、安定した日常がある人たちに、被災者の気持ちなんてわかるわけがない。正論すぎて納得せざるを得なかった。

 

  そして、孝介は「正直、不幸になってくれたら嬉しいよ。俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれた方が嬉しいよ。」と。「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、東京も全部流されて、それでも頑張ろうって言われたら、頑張るよ。その人の歌なら聴くよ。」と言った。これを聞いた時、自分達ができることって何なのだろうと思った。

でも、僕は全ての被災者がこう思っている訳じゃないと思う。誰かと一緒にいることで元気になる人もいると思うし、歌には絶望に堕ちてしまった人たちを立ち上がらせる力があると信じてる。だから、今までしてきた復興活動も間違いじゃないと思うし、これからも続けていってほしい。失う心より救える心を数えてほしい。それでも、孝介みたいに思う人もいるので、「復興」ということについて今一度考えていくべきだと思った。

 

  • 未来が真理恵のお墓で語る場面

   

  まずは、未来が真理恵(お墓)に「私、元気たよ。そりゃあたまにねー、思い出しちゃって泣いちゃう時もあるけど、前よりも一緒にいるなーって感じるの。でもねー、もう大丈夫だよー。気兼ねなく、そっちで笑ってくれたら、それでいいから。(一部 省略)」と伝えた。

未来は姉思いのいい子だなと、心が強い子だなと思った。そして、未来は地震の時のことを語った。

  地震発生後、未来は母と逃げている時に津波に襲われて、自分は運良く助かったが、母は瓦礫に挟まれて動けなくなってまう 。未来一人ではどうすることもできなかった。だから未来はまた津波が来ると思ったから、この場にいたら死んじゃうって思ったから。母を見捨てた。母は「いかないで」と言ったが、未来は「ありがとう、大好きだよ」と言ってその場を後にした。

  僕は、ここで未来が取った行動を凄いと思うし、もし自分の身に同じ事が起きたらこうしたいと思った。被災者は一人でも多く生き延びらなければいけないと思う。この悲惨な出来事を体験した人が、この悲しみ・辛みを知る人が、何らかの形で震災の本当の怖さを伝えなくてはいけないから。この「希薄」という舞台もその一つだと思う。少なくとも、この舞台を観た人たちには伝わってると思うから。それは、東日本大地震を生き延びた人がこの体験を話してくれたから、今僕たちは知る事ができた。だから、何としてでも生きようと思えるようにしてくれた「希薄」には感謝の気持ちで一杯です。

 

最後に

 ここまで読んでくださりありがとうございます!

  この「希薄」というタイトルが示すもの。僕も「東日本大地震の記憶が薄れている」ことだと思う。でも、この舞台を観た人、誰かの感想をブログやツイッターで見た人たちは希薄ではなくなっている気がする。この「希薄」という舞台をすることの意味はこれかなと僕は思った。